つつじ寺ブログ

佐賀県の大興善寺住職によるブログです。

22年戸津説法聴聞の記

b6b5c9d1.jpg恒例の戸津説法、今年はご本山からの説法師です。前延暦寺執行「清原恵光大僧正」がお勤めになりました。24日の4日目は、法華経の第八巻について、25日の結願は仏説普賢菩薩行法経についてのお話でした。
伝教大師さまがご両親への報恩回向のために、村人たちに法華経を説かれたという故事に則り、毎年行われている行事で、近年は、私も欠がさず聴聞させていただいております。叡山学院の院長も勤められた「清原大僧正」は、学者肌のお方でしたが、延暦寺執行を2度もお勤めになって,行政面でも数々のご功績を残されております。経典の要文を取り上げて、難しい教理を平易にお説きくださったことが、心に残ります。

聴聞にお伺いすると、各地からお出での方々に、お目にかかることができます。それも楽しみの一つで、門跡さまを初め、ご老師がたの矍鑠としたお姿を拝し、自分が若くなった気持ちになれるのも、戸津説法の功徳です。

近況報告 妙覚院さんへ

お盆が終っても、時折訪れるスコールのような豪雨の洗礼を受けても、暑さは衰えません。今日もひどい雷が、稲光と同時に、叩きつけるように轟いておりました

山間にありますので、大興善寺では、時折、雷の被害があります。ライブカメラも、電話も、電話の受信システムに組み込まれた放送設備も、雷には弱いので泣かされています。

天変地異とは大げさな表現ですが、日本では「雨雨ふれふれ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいな」という風情は、なくなったようです。

所が、昨日、他所のお寺さんから、久留米市の妙覚院さんの古い本堂が、落雷で全焼したとの情報を頂きました。

夕刻、家内ともども、参りましたところ、堂々たる新本堂のそばにひっそりとたたずむ、従来からの本堂が、柱の一部を残して焼け落ちておりました。発見が早かったので、新本堂にまでは、火が回らず、庫裏の方は無傷で、「灰塚玄壽ご住職」も、お薬師さまのご加護を頂いたと至ってお元気でした。

「そろそろ引退を考えていたが、再興のため。もうひと頑張りせよとの、お薬師さまのお指図と思います」と前向きの姿勢で、もう再興のプランを組み立てておられるとお見受けしました。

お見舞いに伺ったつもりが、逆に元気を頂いて帰ってきました。

妙覚院さんは、天台宗災害補償制度にご加入のお寺でした。

お盆が終りました

お盆は、大興善寺にとっては、檀信徒や信者の皆さんとの接点として、大きな役割を持つ大切な行事です。

檀家は60軒あまりで、それだけですと、こじんまりとしたものですが、信者さんや、地域の方々へも積極的に出かけておりました先代住職時代からの名残りで、いささか広範囲にわたり棚経に回っております。

私も一年一年、年を重ねておりますが、それぞれのご家庭で、お待ちかねの信者さん方も、目に見えてご高齢になっておられます。私と老信者さんとの間で昔話に花が咲き、能率を上げて回らねばならないのに、なかなか、はかどりません。お若い方とも、ご家庭にお伺いすれば、それなりにお話ができますから、有意義です。

お盆回りは、子供の頃から回っておりますので、もう、かれこれ60年以上のお付き合いです。子供の頃は、信者さんにつれられて、福岡市内を、バスや市内電車で回っておりましたが、それが自転車になり、バイクになり、それから車を運転して回るようになりました。殆どの道路は駐車禁止ですから今はタクシーです。自転車バイクの時代は、福岡に泊り込みで回っておりました。近頃亡くなられた成就院さんに泊めていただいて回っていた頃もありました。車に乗るようになったのが昭和48年からですから、それは、その前です。

あの頃から思えば、随分時代も変わりました。信者さんの顔ぶれも代替わりです。檀家は、代々続いて参りますが、信者さんは個人の信仰で、しかも、お若い方と一緒に生活なさっていないと、信仰が途絶えてしまいます。

このような草の根の活動として、お寺と家庭を繋ぐ現在の活動が、どこまで続いていくか、先行き不透明の感は、ぬぐえません。

檀家の範囲が広がり、お盆の棚経回りはお手上げだという寺も多くなっているようです。

それでも、我が寺では、かなりのエネルギーを投入して、お盆回りをしております。信者さんのご家庭では、それが評価されている場合もあります。せめてお盆には遠くに住んでいる子供たちも帰省して、家族そろってご先祖を迎える、この行事を続けていただきたいと願ってやみません。

明日は、お施餓鬼です。この行事が終ると一段落。

今年の戸津説法は「延暦寺 清原恵光大僧正」です。東南寺に参拝させていただく予定です。

成就院「梶谷清隆師」ご遷化の悲報

朝7時過ぎ、成就院副住職「梶谷隆幸師」からのお電話。ご住職ご遷化を告げる悲報でした。今年5月、副住職結婚式では、お礼のご挨拶に、力強い熱弁を振るわれただけに、人の世の無常がひしひしと身に迫ります。

成就院は、天台宗でも盲僧琵琶の伝承を伝える玄清法流の本山で、成就院住職は「玄清法流統管」として法流寺院を統べる役目があります。早くお父上を亡くされた「清隆師」は若くしてその職を継がれ、随分ご苦労なさったようでした。

温厚誠実という言葉は、師のためにあるといっても過言ではないほどの、円満なお人柄で、地域では民生委員なども長く勤めておられました。

私と同学年で、父同志が親しかったので、共に子供の頃からの知己です。
比叡山行院の同期だったことが、更に深いご縁で結ばれましたし、私が、宗務所長の役をしました平成7年から19年までの12年間は、同じ仲間として緊密に交わらせて頂きました。

今年5月ご子息ご結婚に、媒酌の役を乞われ、何とか勤めさせていただき、たいそう喜んでいただいたことが、昨日のことのように感じられます。

午前中、成就院の方に参り、お念仏をお唱えさせていただき、5月にお会いしたお姿そのままの安らかなご尊顔を拝して参りました。

私どもの年になれば、決して早い逝去ではありませんが、まだ老け込んでしまう年齢でもないし、まだまだ頑張れると思っているだけに、共通の思い出を持つ友人が、周りから、次々に木の葉が落ちていくように、欠けるのはやり切れません。

仏さまから頂いた命、今からも、大切に生きていくことをしっかり念じて、私なりの、未来への設計を描かなければと、思っているところです。

湿っぽい文章になってしまいましたが、今日の心境は曇りです。

「世界平和 祈りの集い」 参列

6e7ec039.jpg比叡山宗教サミット23周年「世界平和の集い」に今年も参加しました。比叡山でもこの行事は、炎天の中での行事として有名ですが、「雨が降るよりいい」ということで、暑くても、麦わら帽子にうちわで扇ぎながらの参列が通例です。15時30分、山上に、合図の鐘の響きが流れ、その中での黙祷が感動的です。久しぶりに半田天台座主猊下のお顔を拝しました。力強い熱情あふるる平和祈願文が奉呈されました。
同時に開催されている「比叡山青少年の集い」には、孫も参加しており、この会場には青少年の参加者が、壇上に上がって、一人一人折鶴を捧げるのですが、見つけることはできませんでした。

8月4日のこの集いには、最近、万難を排して参列致しておりますが、亡き「山田恵諦座主猊下」のお徳を偲び、現「半田座主猊下」のこの催しに寄せられる並々ならぬお気持ちを察する時、参加しないではおられない厚い気持ちに駆られるからです。
昭和36年、比叡山の夏の行院で、行監としてお世話になりました「葉上照澄阿闍梨さま」によって開かれたバチカン法王庁との絆が、今日の盛儀として発展継承されている姿を目の当たりにするとき、私と比叡山のご縁の原点として、この「平和の祈りの集い」が、私を比叡山へと駆り立てます。

この行事が終ると、お盆にまっしぐらとなります。

念法眞教立教85周年記念法要参列

昨日は、大阪の念法さんに参りました。9時20分までにお出で下さいとのこと、博多発6時、「のぞみ2号」で、ようやく目的の鶴見区緑の金剛寺に9時過ぎ到着しました。
天台宗の大徳だけでなく、真言宗や神道関係の方も多く、盛大なご法要でした。
法要は、念法の方だけの出仕で、天台声明にもとづく「諸天讃」が唱えられ50名くらいの法衣をまとった式衆の、よく修練された見事な調べが心に響きました。第3代灯主「稲山霊芳師」がお導師で、本堂から通路まであふれるばかりに信者の皆さまが集まっておられました。
灯主さまの、「私たちは、小さな宗団です。皆さまのお支えを宜しくお願いします」という謙虚なご挨拶が心に残りました。
参列者一同、5年前の立教80周年から後の、目を見張るばかりの発展を目の当たりにしているだけに、なおさらです。

慈雨

気候温暖が日本の風土でしたが、近頃は随分さま変わりしました。

近頃の大きなニュースは、異状豪雨や交通機関の事故、それに牛や豚の伝染病。暗いことが続きます。

「天下泰平 風雨順次 五穀豊穣」 昔から護摩祈祷などの祈願には、決まったこのような言葉が入ります。農耕民族である日本人にとって最高の幸せは、天候に恵まれることでした。

今朝の雨は、いい雨でした。久しぶりにまとまった雨が、乾いた大地を潤しております。なにかホットした気分で過ごしております。

大興善寺のホームページ、観光シーズンになれば、どっとアクセスが増えますが、今は、皆さんの関心が薄れております。また、更新もままならず、代わり映えしません。それでも、ライブカメラは、静止画ながら、忠実に時々の境内風景を写しております。
雨の日は、雨の風情を、夕方は日暮れの有様を眺めていただけますので、ふるさとを離れた人には、故郷のよすがを懐かしんでいただけると存じます。

イノシシの被害

うだるような暑さの中で、連日、野外作業が進んでいます。毎朝、作業の打合せで、作業内容の確認をして、必要な道具をそろえたり、薬剤や肥料の調達など、結構、仕事があります。

今朝は、境内外にある畑の隣接者から、イノシシ防除について、依頼があったとの報告を受けました。

近年は、公園、境内にイノシシが出没しますので、周りに電柵を張り巡らして被害を防いでいるのですが、途中、木の枝が落ちたり、草が伸びすぎたりで、よく電線が切れます。すると、待っていましたとばかり、イノシシが侵入して、園内を荒らしてしまいます。イノシシは、ミミズが好物で、イノシシがミミズを探し求めて掘った後は、土手が崩れ、擬木や木材の階段は破壊され、植えたばかりの苗木は、ねこそぎ踏み付けられひどい被害を蒙ります。

大興善寺の看板である、駐車場側面に「つつじ寺」と植木で書いた植栽の文字も、肥料が効いてミミズが豊富にいるので格好のイノシシの餌食。それに竹林はじめあらゆる所がイノシシ被害地帯。

どうにもならない被害に嘆息するばかりです。近所のホームセンターに出かけて、用品を調達。異常気象対応もままならぬ近頃の保全対策に加えて「泣きずらに蜂」のイノシシ騒動。その蜂も作業には鬼門です。「蜂が低いところに巣を作っている年は、台風が来る」ということも言います。今のところ蜂はあまり見かけないが、ミツバチの巣を狙ってクマバチが出没するのが怖いという話も出ておりました。公園の中の木造のトイレ(それも板壁の中)に野生のミツバチが巣を作って、節穴から盛んに出入りしております。花あるところにミツバチは歓迎ですが、スズメバチやクマバチは招からざる客です。
小鳥のさざめきは興を添えますが、山鳩は屋根をついばんで、屋根から杉皮や萱を落としますし、天井板に穴を開けて藁屋根の天井にもぐりこんで、ゴミを落としてくれます。狸やアナグマも出没して所かまわず排泄物落としていきます。

池の鯉はアオサギの結構な餌食。自然の営みは生き物の生活の場で、生きていくための生存競争が繰り広げられております。テレビで見るようにドラマチックではありませんが、似たような舞台を提供しておるようです。そして、私たちも、人間に都合のいい「共生」を作り出しています。 

もみじの季節になれば、錦秋の風情。それに辿り着くまでの苦労が始まりました。

近況 比較的に穏やかな日々です

梅雨明け宣言と共に、うだるような暑さです。それでも他所からお見えの方には、大興善寺は山の中腹ですから、自然の風が心地よく、「緑いっぱいの中で過ごせることが素晴らしいですよ」とうらやましがられております。

公園の作業員さんたちは、野外作業ですから大変です。雑草はすぐに大きくなります。蔓のつるが延びてつつじに巻きつき、瞬く間に藪になって行きます。こんなに暑いと作業も困難を極めます。

お盆前で、大きな行事もありませんから、私は、境内の清掃や藤棚の手入れが日課になっています。 

今年は、初盆が多いような気がします。檀家は数軒でわずかですが、親しいお付き合いをしておりましたお寺さんや信者さん友人など、いつもより感慨にふけるお盆といった感じです。

紅葉 ポスターとチラシができました

紅葉問い合わせは、すでに各地より寄せられております。ホームページでも今年の紅葉情報を確定してお知らせいたしておりますが、15日に今年のポスター・チラシが出来上がり、佐賀県観光連盟と基山町観光協会に届けております。
紅葉情報は、大興善寺ホームページからどうぞ。
ブログにも紅葉関係のアクセスが目立ってきました。

近頃のアクセスには、戸津説法関連の、ずっと以前のものがお目に留まっているようですが、今年の戸津説法、説法師は比叡山の「清原恵光大僧正」で8月21日から25日までお勤めになります。ぜひ聴聞に参上させていただきたいと念じております。

うだるような猛暑。毎日、公園の手入れが続いていますが、イノシシの被害に頭を痛めております。先日からの豪雨により、山から流れる水量も驚くばかりです。

つつじ寺説法 その100 葬式に思う

16日 深夜1時に枕経をあげた檀家86歳の老御母堂の葬儀も17日無事終了しました。ご親族のほか喪主であるご子息の職場からも、多数の参列があり、通夜も葬式もかなりの会葬者がお集まりでした。
故人としては、今年はご主人様の7回忌だから、これまでは自分の手で執り行いたいと頑張っておられましたが、これは叶いませんでした。

ご一族は、昭和10年代、一家転住で、寺の近くから福岡近郊に住まいを移された方で、そのご兄弟のお一人が大興善寺にご帰依を賜り、檀家としてご縁を深めていただいたものです。

ですから、その方にとっては、日常の生活にも故郷の寺があり、ご家族にしても、ごく自然に、お寺との繋がりを持っていただいておりますので、一端、事があれば、先ずお寺へご一報ということになります。

寺におりますと、程度の差はあれ、一般に、こんな形で、檀家や信者さんと接しておりますので、お気持ちを共有できる部分がかなりあります。ですから、今、葬儀については、広く社会問題として取り上げられております、葬祭一式が、パックとして販売されるかと思えば、「直葬」といって病院から直接火葬場に運ばれる、などの話は、実際には縁遠い話と理解しております。この気持ちは、私だけでなく周りのご住職もお持ちと思います。

しかし、ひょっとしたら、私たち寺院関係者は、檀家さんと違った世界の人間として、一般世情から遠ざけられ、つんぼ桟敷に置かれているのでは、という危惧もいたしております。表向きは和尚様、法印様と奉られていても、よそ様の話ですが、影では「坊主」呼ばわりされている実態もあります。

檀家が5百軒や千軒もある大きなお寺では、総代さんや世話人さんがお寺との窓口で、一軒一軒に対するきめ細かいお付き合いまでは、どうしても行き届きません。人間の能力に限界があるからです。

それに比べると、新しい宗教組織では、仲間同士での繋がりが充実して、困った時、力になってくれるシステムがあるようです。お寺が持っている組織は、どちらかといえば、お堂の修理とか維持費徴収とか金集めの組織です。 総代さんや世話人さんのご指導で、ともすれば、いい加減になりがちな、お寺への関心度の高揚に有効な機能を、発揮しているところもあります。が、それでも、今は、個人の生活に、よその人が口出しすることを拒む傾向が強くなり、世話がしにくいようです。

こんな事態を招いた一因に、寺の責任が問われています。確かに寺としては、時代の動きに対応できていないし、新しい事態への処方箋も持ちません。後追いです。後追いでもできればいいのですが、途方にくれることの方が多いと思います。

宗団でも、講師を招いて、新しい時代の動きにどう対応すべきか、研修が始まりました。それでも、私たちは受身です。「日常的な檀信徒との交わりを密にして、しっかりと心をつかむ努力をしなければなりません」という結論、理屈では判っています。空念仏に終らせないための努力は並大抵ではありません。

全くお寺に無縁の人にとっては、葬儀が縁で、後々までずっとお寺とお付き合いをするのは「いやだなあ」という拒絶反応をお持ちのようです。
行事の案内から、諸堂修復の寄付お願いなど、お寺からのアプローチも、帰依の気持ちがなければ煩わしいものです。その煩わしさからの解放が、ビジネスとして葬式をしていただくシステムで、こうしてでも葬式ができれば、日常のお寺とのお付き合いは必要ありません。

私たちの世界では、お葬式は、その人の尊い一生に対して感謝を捧げ、仏さまのお力に縋って浄邦にお送りする、その人にふさわしい儀式で、人生の最後を飾るべきものだと確信し、そのような儀式を執り行うことは後に残ったものの義務という立場に立って、今日までやってきました。そこには、檀家さんの帰依がありました。

しかし、葬式は社会に対して行う必要はない。家族の問題だということになれば、自分たち家族は葬式を必要としないとなり、「信教の自由」を言葉通り解釈すれば、菩提寺に帰依しない自由もありそうです。

核家族の時代では、親族が集うこともまれになり、地域社会が崩れていけば、隣近所の結びつきもない、終身雇用年功序列という職場の環境が、単なる雇用関係によって寄せ集められた契約社会となれば、職場での人間関係も稀薄で、従来型のお葬式は成立しにくい状況が作られております。お寺と檀信徒の精神的な結びつきが薄くなれば、従来の常識が通用しなくなっていくのは、時の流れかも知れません。

しかしながら、宗教がなくなっているわけではありません。従来型の常識から見れば理解に苦しむ信仰があり、予言的な神がかり的なものに心奪われている実態を見るとき、「葬祭を機縁として信仰を広める」以前の問題にもっと目をむけ、心の拠り所となりうる活動を開拓しなければならないようです。いのちの大切さ、いのちが尽きることの意味。人間の存在に目をむけ、人間らしい生き方をしていく上での、宗教的な意味や価値に目を向け、仏さまによって生かされている自分を自覚していただけるよう励まねばなりません。

住職の力量が問われている時代ということを痛切に感じています。

かなり時間をおいて綴りましたので、論旨がねじれ首尾一貫しないそしりを受けそうですが、それは覚悟の上で投稿しております。

近況 やはり集中豪雨に見舞われました

d7c5505b.jpg「雨雨降るな降るな」と歌いたくなる程の5日間の天候。ようやく晴れ間も見えて、梅雨明け間近となりました。 

今日もテレビでは、大雨や土砂崩れの被害が報じられ、悲惨な結果となったニュースが流れています。謹んでお見舞いを申し上げ、お亡くなりになった方のご冥福をお祈り致します。

このような惨事に比べれば、大興善寺の方、いくらかの被害はありますが
公言できるほどの事もありません。しかし、復旧作業のことを思えば、気が重くなります。

ここ数日、お亡くなりになった方の弔問に、続けて町内の斎場にお参りに行っております。この二日ほどは、急にお亡くなりになった方が続いています。今朝、お参りしましたお方は、自分で病院に行って、そのまま数時間後にはお亡くなりになったとの事。皆、私より若い人ばかりで、寂寥の感が身にしみます。

「人間、いつどんなことがあっても不思議ではない」ということを身をもって感じています。

何かに縋らなくてはおれない気持ちです。
この気持ちを癒していただくのは、やはり仏様だと、自分に言い聞かせて元気を呼び戻すべく、いま、このブログを綴っております。

昨深夜。檀家の老婦人がお亡くなりになったので、1時から4時まで枕経をあげに、福岡近郊まで参りました。この方は、大正末年のお生まれで、私より10才以上先輩です。私が、中高校性の頃からご夫婦でお参りになっておりました。あの当時ですから、泊りがけでご参拝され、本堂に布団を運んだ記憶があります。そういった思いを語りあっておりましたら、つい長い時間を過ごしてしまいました。

僧侶として葬祭に関わらねばならないことは、辛い気持ちで、父である先代住職は「葬式は出来るならしたくない」といっておりました。晩年は、「わしより若い人の葬式はしない」などといって、その役を私に回そうとしますが、檀家さんは、老師をすっかり頼っておりますので、そうは行きません。自分で「歎徳」(お葬式で読む亡くなった方の徳を讃える文章)を書いて、それを私や母に読んで聞かせていたことも思い出します。

梅雨が明ければ、本格的な公園の手入れが待っております。
ポスターとPRのチラシが、昨日印刷屋さんから届きましたので、そちらの仕事もかからねばなりません。

お盆を前にして、仕事がどっと増えました。
 

「世界平和 祈りの集い」 に思う

昨日からの集中豪雨のニュース。被害に遭われた方の悲惨な状況を見るにつけても、お気の毒で、言葉を失う思いです。

運不運、人の力では、何ともならない無力感に打ちひしがれます。

天候不順、異状気象。元を辿れば人間の営みに帰着しそうですが、それを防ぐ手立ては、日暮れて道遠しの感です。

やがて8月4日、「比叡山 世界平和 祈りの集い」が催されます。

戦争のない世界を目指す宗教者の声が、かき消されそうな世相であっても、集い、祈り、連帯を確かめ合うこの会に、参加することで宗教者としての責務を自覚したいと思っております。
比叡山に響く平和の鐘の音を聴いて、そこに集う宗教の違いを超えた大勢の人々とともに、平和への願いを新たに致します。

ささやかな力でも、輪が広がっていくことを念じます。

つつじ祭風景 

8dc07e22.jpg人づてに、この絵が私の元に届けられました。写真は大勢の方が撮っておられますが、このような絵をいただくことは珍しいのでご紹介します。描かれたのは鳥栖の方だそうです。

つつじ祭の お祭りらしい露店ののどかな情景と、参道の民家にあるヤマトバラの花のリアルな写実が、うまく調和した絵で、こんな絵を描いてくださる方がいらっしゃるのに感謝感激です。

22年紅葉ポスター

8e0e503e.jpg今年の大興善寺紅葉PRポスターの図案がまとまりました。昨年とほぼ同じデザインです。
印刷が終り次第、チラシと一緒に関係先に配ります。
ツアー募集関係でご入用の方は、ご一報下さい。(住所、名称 電話番号明記の上 ポスター、チラシの必要枚数をFAXにてご一報下さい。0942−92−3077)

湖の国の名宝展 記念講演会

昨日(7月4日)、九州国立博物館で催された講演会に参りました。この展示は、サブテーマとして「最澄がつないだ近江と太宰府」と記されています。私は、文化時報(宗教関係新聞)で記事を見ておりましたので、楽しみにして、先月から予定を入れておりました。
地元の新聞で報道しないとなかなか情報は伝わりませんが、講演会会場である国博ミュージアムホールには5,60人ほどの聴衆が、集まっておられました。
3名の講師が代わる代わる演題に立って、それぞれのテーマに添い、終了予定を30分オーバーする熱情で、この講演会を盛り上げて下さいました。

最初に、延暦寺副執行「誉田玄光師」が、伝教大師最澄さまと延暦寺についてお話をされましたが、お話の中で、聴衆の興をそそった話題は、
『最澄さまは、日本で最初に大師号をいただかれたにもかかわらず「大師は弘法に取られ」でお大師さまといえば一般に弘法大師となっています。おまけに「漬物は沢庵に取られ」です。比叡山麓、坂本には古くから「山の坊さん何食うて暮らす、湯葉の蒲焼、定心房」という里歌があります。漬物は比叡山が本家なのに、禅宗の沢庵和尚の名がついています』というくだりです。
神秘的な誇張された人物像ではなく、ひたむきな求道者として生きられたお大師さまのお人柄が、後世、比叡山が日本仏教の母山となる礎を築き、その教えは今日なお脈々と継承され、世界平和を提唱するに至っていると結ばれ、「比叡山にぜひお参り下さい」ということで講演が終りました。

続いて、九州では仏像研究の第一人者である「八尋先生」、滋賀県立琵琶湖文化館長「宮本先生」がスライドを駆使して、九州と近江の仏像について講演されました。両先生とも天台系仏像の特徴である不動毘沙門を脇士とする三尊形式の仏像配置について述べられました。そこで、信長焼き討ち以前の、延暦寺本尊薬師如来がいかようであったか、という学究テーマがあることを初めて知りました。

一見、滋賀県と太宰府は、何のかかわりもなさそうなのが、1200年の時空を越え、サブテーマに示されたようなご縁で、深い繋がりを有することに接しました。
しかし、この企画をなさったのは「人」です。昨日の講演会の司会をなさった九州国博の「藤田さん」は、以前は、琵琶湖文化館で、「宮本所長」の元で仕事をしておられた方で、九州国立博物館に要請されてこちらに移られたとのこと。こういったご縁が取り待った今回の名宝展、あらためて展示室に参り、じっくりと拝観したいと思っています。この展覧会は9月5日までです。
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葬儀 随喜のこと

昨日、1年以上も前の、常行寺住職ご遷化の記事を見てくださっている方がありました。実は、昨日、その常行寺さんでお葬式がありました。

「ごく身内だけの葬式ですから、斎場をお借りするまでもありません」という喪主のご意向で、実家の檀那寺、常行寺さんになったようです。
喪主のお父さんが大興善寺の信徒総代を勤めていただいており、喪主である故人の奥様も、かつては福聚教会の会員として、たびたび大会にも参加していただいておりましたので、お葬式に随喜させて頂きました。

常行寺さんでは、亡き住職に代わり、まだうら若い若院さんが、一生懸命に葬儀を執行されました。

喪主の意向に反して、村の方や友人、大興善寺福聚教会の会員さんも随分お集まりで、本堂に用意した席も埋め尽くされ、隣接する門徒会館に急遽誂えた席では、モニターテレビの設備もなく、本堂の様子がわからなかったということでした。

亡くなられた方は、実家の方から見れば娘婿で、20年ほど前に、実家の田んぼに家を建てて移りすんでおられた方です。村の一員として、村の行事にも参加し、すっかりとけ込んでおられました。ですから、葬儀には、村の中が空になるほど、どの家からもお出でになっておりました。

葬儀社さんが関与されておりましたが、本尊阿弥陀如来さまを背景にお花が飾られ、親族から寄せられた生花が両サイドにならべてあるという、華美ではない実のある、参列者が等しく亡き人を悼むお葬式でした。
午後1時から始まった葬儀が1時間以上かかり、皆で霊柩車を見送り自坊に帰ったのは2時半でした。

葬儀について、色々の論議がある中で、古い昔ながらのお葬式が再現されたような感じを抱きました。

JR 秋のウオーキング

JR九州 秋のウオーキング 今年は11月27日(土)で準備が進んでいます。主催はもちろんJRさんですが、「おもてなしの町基山町」「日本の歩きたくなる道500選 つつじ寺大興善寺への道」ということで、町内の盛り上がりもあり、春秋、年二回の企画で、参加数も管内トップクラスとお伺いしております。

3月末、転勤された駅長さんが、前任駅長さんが企画されたプランに、具体的肉付けをして、魅力あるコースを実現されたお陰です。回を追うごとに内容も充実しております。
嬉しいことは、町内で仕事をしていらっしゃる方が、色々のアイデアでおもてなしを工夫され、それが、活性化に繋がっている点です。

「紅葉」プラス「おもてなし」、今度もぜひご参加下さい。



満中陰のご法事

昨日は5月15日に亡くなられた檀家の方の満中陰のご法事でした。七日七日のお参りを重ねて無事七七日を迎えました。亡くなられたお父さんは、私より2級年上、子供の頃から、4キロの道を一緒に歩いて学校に通った仲間です。奥さんは、私と同級生。更に2キロ山奥の古屋敷という村落の出身です。
3人の息子さんがおられ、次男はアメリカ合衆国から家族も伴って帰省。あちらは丁度夏休みだそうで、24時間かかって来ましたというお話でした。

故人夫妻の兄弟と子供さん家族のささやかな法要でしたが、故人の思い出を中心に、和やかな素晴らしい集いでした。肉親のふれあいあって初めて、ご供養も成り立ちます。私も含めて、山郷に育った60年も昔から比べれば、今は想像もつかない時代です。大興善寺のホームページもアメリカからアクセスしていただいているとの事。新しい文化の中で、今、その恵みを享受できる境遇にあることを喜びたいというお話をしました。そして異国にいても古さとを大切に思い、親戚の絆をしっかりとつなぎとめようとなさる次男一家の快挙を「近くに住んでいても、なかなか難しいのに、よくお参りなさいましたね」と賞賛させて頂きました。

きっと、ご家族の中での、日常の人間関係の暖かさが、父母への供養として、千里万里を遠しとせず駆けつけて下さったのだろうと、ほのぼのとした思いが脳裏をよぎりました。

葬儀の「いま」と「未来」−寺の存在価値を問う

これは、6月21日行われた天台宗布教師会九州地区協議会の研修会の講演演題です。講師は、「碑文谷 創氏」。葬儀ジャーナリストとして著名な方で、葬儀に関する多くの著書があります。
会場は佐世保市ハウステンポスを間近に展望する「ホテルローレライ」です。少し高いところにありますので、JRハウステンポス駅の向こうにハウステンポスのオランダ風の佇まいが展望できます。

お話は、今時の、葬儀の実態から始まり、葬儀の規模が随分小さくなったこと、葬儀そのものが社会儀礼から個人儀礼に変化し、寺院も地域から孤立し「生活仏教」意識が衰退してしまっている。という現況の分析が述べられました。

このお話を聞いた時、九州西教区布教師研修会で、講師の大分臨済寺「秦順照師」がおっしゃっていたことを思い浮かべました。
寺の近くにある斎場が、葬式ごとに、たびたび、寺の駐車場を貸してくださいと頼んでおったが、近頃は、車が少なくなって頼みに来なくなった。近頃は葬式が小さくなっている。という話です。

初めは、葬式道具の貸し出し業であった葬祭業者が、今では葬儀のコーディネイトをするようになり、僧侶にしても、その中に組み込まれ、お寺でなく僧侶派遣プロダクションなる集団が、一つの商業活動の一環として登場し、セレモニーとしての葬儀が執行される現実。
また、「生前戒名授与」を集金術の手段として推進すかのような団体も現れ、イオングループが、葬祭業に進出するとか、寺と檀家の結びつきとは無縁の葬祭産業が成立する現実も紹介されました。

以前から、身寄りのない方や行き倒れの死者に対して行われていた「直葬」、すなわち病院から火葬場直行という葬儀法も、老齢化や家族の変化という客観的な事情のほか、死者を弔う価値を認めないという風潮で、増加しているということです。

ざっとこのような現状の提起があり、今後、僧侶に課せられた課題として
檀信徒をも含めた寺院活動を構築し、死者を弔う祭礼としての葬儀の意義を、しっかりと認識していただくような方向で教化活動を展開し、「みなの寺」という方向で共に支えあっていく寺づくりことが、大切ではないでしょうか、と結ばれました。
寺のネットーワークについてもふれられ、「生業からの脱却」をめざし僧侶の意識改革も促された講演でした。

今後いかにして寺を護り、どのようにして檀信徒の皆さんと力を合わせていくか。何をするにしても、寺は、周りの人の力をいただかねば、何もできないのだ、ということを強く感じました。勿論住職のリーダー性を抜きにしては論じられないことですが、現実の周囲の状況も見るにつけ、課題は大きいのですが、それに対応できるか否か、予断できない現実があります。

私は、機会あるごとに、亡き人を送る葬式は、故人の在りし日をたたえ、その人を偲び、その人の歩まれた人生の軌跡に敬意を表し、悲しみを分かち合い、残された遺族に、今からを生きていくことへの励ましの場であると申してきましたが、そんなことは必要ないよと、冷たくあしらわれる世相となったのでしょうか。

大きくなくてもよいから、セレモニーではない悲しみを共有できる人間関係のもと、自然な形での別離の儀式になっていく、それは、むしろ情としては純粋だとしても、そこに宗教を拒めば、僧侶は不必要だとということになります。

死という人間最大の厳粛な場、洋の東西を問わず、それぞれの信ずる宗教の儀礼で死者を弔うという人間の文化が、大きく揺らいでいくような感さえします。「敬虔」という人間らしい感情は、人智を超えた大きな自然の営みへの畏敬の念とも、根底では繋がっていると思います。

檀家の皆さんとのコミニケーションを深め、また、実際に意義ある葬式を執行することで、力は及ばないとしても「安心」の境に導く努力をしなければならないと、改めて感じた次第です。
あし@
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